テレジンの小さな画家たち
野村路子作 偕成社
あらすじ
第二次世界大戦時、多くのユダヤ人は強制収容所へ送られ、
そのうちのひとつ、テレジン収容所にはたくさんの子供が収容されていました。「男の子の家」と「女の子の家」に、十歳から十五歳までの子供が入れられ、
男の子は建物を作る仕事、女の子は畑を耕す仕事をさせられていました。
そのうちに人が増えすぎたため、「東」に新しい場所を作ったとドイツ軍は言いました。
「東」へ行くことになるのは、弱っている人、病気の人です。
乱暴に貨物列車に押し込まれる様子から、「東」はもっとひどいところだと噂が立ちます。そして外から来た人たちから、「東」にはガス室があり、たくさんの人がそこで殺されている・・・
という恐ろしいニュースを聞きます。
もう二度とお母さんとは会えないのかもしれない、このまま「東」へ送られるのかもしれない・・・
子供たちは希望を失いかけていました。
そんな子供たちを何とか救おうとしたのは、周りの大人たちでした。
ドイツ軍に交渉し「教室」を開かせてくれと頼み、それが聞き入れられたのです。
歌とゲームしか許されていない「教室」で、しかし大人たちは詩や宗教、歴史などを教えます。そして、一人の画家が絵を教えると言いました。
それはすべて見つかったらどんな罰を受けるかわからない危険なことでしたが、
大人たちは、どうしても子供の心を救ってあげたかったのです。
そこで子供たちは、詩や絵を描きます。
恐ろしい思いをしたせいで、なかなか幸せな絵を描くことができない子もいました。満足に紙も、クレヨンもありません。
けれどもそんな中で、子供たちは少しの間だけ、自由な気持ちになることができたのです。
ドイツ軍が、ユダヤ人たちから奪おうとしたのは「人間としての誇り」です。
誰かを思いやることもなく、希望や夢を持つこともない、そういうものに貶めようとしたのです。
子供たちをそんな状態にしないために、大人たちは「教室」を開いたのでした。
しかしその「教室」の子供たちも先生も、次々に「東」に送られました。
「東」へ行った人は戻ってはきません。
「東」にあったのはアウシュビッツです。
そこは生きるための場所ではありませんでした・・・。
戦後、「女の子の家」で働いていた人が、子供たちの絵を見つけて保管しました。
そしてプラハのユダヤ博物館に、今これらの絵は展示されています。楽しそうな遊園地の絵もあれば、大きな蝶の絵もあります。
逆に、胸にダビデの星をつけさせられ、棍棒で追い立てられている絵や、
収容所の三段ベッドを描いた絵もあります。けれども、その絵を描いた子供たちのほとんどが戦争中に亡くなりました。
この物語では、生き残った「ラーヤ」という少女に焦点をあてながら、たくさんの子供たちの様子を伝えています。
そして掲載されている子供たちの無邪気な絵が、たくさんのことを語りかけてきます・・・。
感想
大人も子供も老人も・・・何もかもを消し去ろうとした、ユダヤ人絶滅計画。
たくさんの人が、その犠牲になりました。
収容所は、ただドイツ軍の奴隷として働かされる場所ではなく、殺すための施設でした。
そしてその順番はいつやってくるかわかりません。収容所は不潔で、病気が蔓延していました。
一日中労働しても、ほとんど食事も与えられません。
毎日誰かが死んでいくのを目の当たりにして、次第に無感覚になっていきます。
それでも、そんな地獄のような場所でも、生きようとする希望や夢は消すことはできないのだと思います。
子供たちを、子供たちの心を救おうとする大人の人たちの心は、まったく汚されてはいません。
子供たちの心を救えても、救えなくても、そんなことは関係なく「死」はやってきます。
希望を持ったからといって生きられるわけではないのです。それでも最後の瞬間まで人間らしい心のままで、
生きる希望を、夢を持たせてあげたいという気持ちがひしひしと伝わってきます。
そして、絵を描く子供たちの心も死んではいません。
必死に生きようと、生きたいという叫びが聞こえてくるようです・・・。
私も絵を描くことが大好きでした。
絵を描いている間は、心が自由になって、どこまでも幸せな世界に飛んでいくような気がしていました。テレジンの子供たちも、そんな気持ちで絵を描き続けたのだと思います。
一瞬だけ、自分の周りに今あるものを忘れて。
収容所に入れられた子供のほとんどは、戦争中に亡くなりました。
その子供たちが描いた絵は、人の心に深く突き刺さります。
そしてもう二度とこんな悲しいことを起こしてはいけない、と強く訴えてくるのです。