ふたりのイーダ(シリーズ第一巻)

 松谷みよ子作 司修画  青い鳥文庫


あらすじ
小学四年生の直樹と二歳の妹ゆう子は、母親の仕事の関係で、夏休みに祖父の家に預けられることになりました。

そして着いたその日に、直樹は不思議ないすを見かけます。

それは「イナイ、イナイ、ドコニモイナイ・・・」とつぶやきながら歩き続けるいすでした。


翌日、いなくなったゆう子を探しに行った直樹は、いすを見かけた無人の家の中で遊ぶゆう子を見つけます。

ゆう子はまるでこのうちの子供のように自然で、直樹のことを知らない人のように、いすと無邪気に遊んでいるのです。


ゆう子のことが心配な直樹は、いすと話をしようとします。
ところが、いすは、ゆう子をこの家の子供のイーダだと言い張ります。

ゆう子も直樹が教えたイーダ、というポーズを気に入って、自分のことをイーダだと言っているため、ますます勘違いしてしまっているようなのです。



ある日、おばあさんの知り合いの、りつ子お姉さんに連れられて行った史料館で、直樹はあのいすと同じ模様の大人用のいすを発見しました。
そしてそれを作った人を、りつ子に調べてもらうことにします。
それがわかれば、あの家に住んでいたイーダがいつの頃の人かがわかると思ったからです。



その後、あの家にかけられた日めくりカレンダーを見てみた直樹は、読むことができず、りつ子にすべてを打ち明けます。

りつ子が調べてくれたことによると、そのカレンダーは1945年の八月六日だということでした。

そのあとであの家をりつ子と色々調べた後、夜に二人で広島のとうろう流しへ行くことになります。


そこで1945年の八月六日に起こったことを知った直樹は、あのいすのイーダも原爆で死んだのかもしれないと考えます。

そしてもしそうなら、ゆう子がそのイーダの生まれ変わりなのかもしれないと・・・。



そしてお母さんが仕事から戻ってきて、東京へ帰る日がやってきました。

直樹は、ゆう子と一緒にあの家へ出かけることにしました。



感想
内容は、とても重い、戦争ものです。
だから簡単に、面白い、というのもいけないのかもしれません。

でも不思議な歩くいすや、生まれ変わりということについて。
すごくドキドキして、やっぱり面白い作品だと思ってしまいます。


直樹にとっては、戦争は知らない世界です。
本当のことだといわれても、実感はわかないでしょう。

しかしおじいさんたちは、もとは広島に住んでいたといいます。

そしてさらにお母さんも、あの日までずっと広島に行って、軍の工場で働かされていたのです。
たまたま八月六日、材料がなくて休みになったので命拾いしたというのです。

もしおじいさんたちがそこにいたら、当然直樹は生まれていない、そしてお母さんがいなければ、もちろん生まれない。

直樹はその瞬間、すごく遠いところにあった戦争を、身近に感じることになります。


戦争の物語は、今までにも何度か読んだことがありますが、こういう風に、ファンタジーのような不思議な世界から、戦争を感じる物語は見たことがありませんでした。


不思議な歩くいすが、ずっとずっと、幼いイーダを待ち続けて歩き回る姿はすごく切ないです。

幸せな世界を一瞬で打ち砕いた原爆の恐ろしさは、言葉ではうまくあらわすことはできません。
許せることではないし、もう二度と同じことはしてはならないと感じます。



この作品は児童文学です。

だからでしょうか、ただ重苦しいだけではありません。

なんというか、「戦争は、重く苦しいものだけど、このお話はそれだけを感じて読まなくてもいいよ。でも、大切なことだから、覚えておいてね」・・・。

そんな風に、これを読む子供たちに向けての作者の松谷みよ子さんの優しさというか、愛みたいなものを感じるお話なのです・・・。



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