無印失恋物語

群ようこ作  角川文庫


あらすじ

無印シリーズは短編で、一冊の中にいくつものお話が入っています。
大笑いではなく、こみ上げてくる笑い、というのがウリの、
日常的と非日常的なバランスが絶妙な物語ばかり。

と言っても、面白さは説明できないので、少しだけ抜書きをしてみます・・・。



『相性』

「世の中で私はいちばん幸せだわ」
彼とつきあうようになってから、私にはバラ色の日々が訪れた。

以前、友だちが、うっとりした目つきをして、
「自分が素敵だなと思った人は、必ず相手も自分のことをそう思っているものよ」
というのを聞いても、片思いがことごとくぶちこわしになっていた私は、
(ケッ)
と小馬鹿にしていた。

「赤い糸」の話なんかをする子には、小指につながっているはずの赤い糸を、はさみで切ってやりたくなった。

しかし彼と知り合ってから、男女を結びつけるロマンティックなその話に、心から拍手したい気分になったのである。



そのとき私は、学校の食堂でBランチを食べ終わり、お皿の載ったトレーをカウンターに返そうと立ち上がった。
すると隅のほうで私と同じように立ち上がった男の子がいた。
何気なく目と目があったとたん、私はその場に立ちつくしてしまったのである。

彼はトレーを持って近づいてきた。
もちろんカウンターに返すためなのだが、私はまるで自分に近づいてくるような気がして、胸がどきどきしてしまった。
彼はきちんとトレーをカウンターの上に置いた。

(学食の外に出ていってしまうんだな)

残念に思っていると、何と彼は私のところにやってきて、にっこり笑って無言で、私が手にしていたトレーをカウンターに持っていってくれたのだった。

これが私たちの出会いであった。



今までは男の子と話すときに、妙に緊張していたのに、彼とはまるで、子供のころからの友だちみたいに、話すことができた。

デートのときも、マニュアルどおりに動く人ではなかった。
「どこでどうやって探したのだろう」
と不思議になるような、雰囲気も良くて値段も安い店をたくさん知っていた。

そこにはいかにも、「このあとエッチが控えている雰囲気を漂わせたカップル!」はいなかった。
ちゃらちゃら着飾った男女がいないのも気分がいい。
ちょっと大人の人たちばかりで、そこにまじっても不自然ではない彼が、とても素敵に見えた。


門限にはきちんと家まで送ってくれた。
そのうえきちんと両親に挨拶してくれる。

いつもは無口でむすっとしている父親も、
「なかなかいい青年だ」
と誉めていた。
母親はまるで自分に彼ができたみたいに、
「いい人ね、いい人ね」
とはしゃいで、父親にちょっと嫌な顔をされていた。



彼は何度もうちに遊びにきた。
そのたびに父親は、上機嫌で彼に晩酌の相手をさせていた。
彼が親に嫌われるのも困るが、私にも不満があった。

うちには何度も遊びにきているのに、彼の家には一度も連れていってくれない。
お父さんは彼が小さいころに亡くなり、お姉さんは結婚しているので、今はお母さんとふたり暮らしのはずである。
場所だって電車で小一時間乗れば着くようなところで、別に山奥ではないのだ。



ある日、思い切って、彼に、家に遊びにいっていいか、訊いてみることにした。
これはある意味で、大きな賭けであった。
もしもしぶられたり、あれこれ理由をつけられて断られたら、私は親に会わせる必要がないガール・フレンドということになる。


(もしかしたら、こんなことをいったせいで、やっと私に訪れた幸せの日々が、一瞬のうちに消え去るかもしれない)

私は胸をどきどきさせながら、それを彼に悟られないようにした。
そして学食でAランチを食べているときに、さりげなく、
「今度、あなたの家に遊びにいっていいかしら」
「んっ」

彼は口から千切りキャベツをはみ出させて、私の目を見た。
私もじっと見つめ返したものだから、寄り目になってしまった。

「あなたの家に遊びにいきたいの」

二度目は少し落ちついていえた。
彼はもぐもぐと口からはみ出ていたキャベツを噛みながら、
「うん、いいよ」
簡潔に答えた。

あれだけ緊張しまくった私がばかみたいだった。
そんなに簡単に返事をするんだったら、これまでに連れていってくれたらよかったのに。


「今度の日曜日にしようか。母親がうちにいるから」

私は彼のお宅訪問をとりつけたものの、また別の緊張が襲ってきた。
うちの両親が彼のことを気に入ったのと同じくらい、私は彼のお母さんに気に入られるだろうか。

「あんな女の子と会うのはやめなさい」
なんていわれたらどうしよう。
また私の悪い癖が、ふつふつと頭をもたげてきた。



日曜日、私は、ふだん着たことのないモス・グリーンのワンピースを着て、彼の家に行くことにした。

最寄りの駅まで迎えにきてくれた彼は、
「へえ、そんな服、持ってたんだ」
と感心したような、ひとりごとのようなことをいった。


住宅地を五分ほど歩いた、平凡な建て売り住宅の家並のなかに、彼の家があった。
同じ造りの家が五軒並んでいた。


「ただいまあ」

彼はドアを開けて大きな声を出した。


「おかえりなさーい」

奥から声がした。
私はだんだん体が固くなってきた。


「まあいらっしゃい」
「・・・・・・・・・・・・」


目の前に現れたのは、まっかっかの塊だった。
目をつぶってから、もう一度よく見ても、そこには真っ赤の服を着て、茶色の髪を大きくカールした女の人が立っていた。


彼女が着ているのは、やや流行遅れのボディコン気味のミニ・ワンピースである。
脚に静脈瘤ができているのかと思ってよく見たら、ブルー・グレーの大きな唐草模様のストッキングを穿いていた。

頭にはきらきら光る石がついた、髪留めをつけている。
化粧も濃い。

もともと目鼻だちのはっきりした顔なのだが、それを強調するように、目のまわりをくっきりと隈取りしていた。
当然、口紅もマニキュアもまっかっかである。


「あのう、お母さん、かしら」

違ってほしいと思いつつ、そっとたずねると、彼は、
「そうだよ」
といとも簡単にいった。

(ひゃあ)

想像していたのとまったく違うタイプだ。
今、お茶をいれてくれているのは、欧陽菲菲じゃないか。
子供が大学生だというのに、膝小僧が丸出しの、まっかっかのワンピースを着ているなんて。



「タッちゃーん、手伝ってえ」
声がかかった。

「はあい」
彼は明るく返事をして、カップが三個載ったお盆を運んできた。
私といるときよりも、彼が心なしか、うれしそうにしているような気がする。


「ケーキ、お好きでしょ。ダイエットなさっているかもしれないけど、
若いんだから気にすることなんか、ぜーんぜんないわよ。
それにあなたは太ってなんかいないし。
若いときは好きなものを、どんどん食べてもいいと思うの。
ダイエットしていたとしても、たまには甘いものをとらないとねえ。
ストレスがどんどんたまるわよ。
そのほうがよっぽど体には悪いわ。
遠慮しないで食べてね」

お母さんは機関銃のように口からことばを吐き、私との会話を全部ひとりで済ませてしまった。

私には、
「はい」
しか、いうことばがなかった。


彼女は隣に座って、ケーキを食べ始めた。
背中を丸めて、ケーキを口のなかに押し込んでいる姿は、格好が派手なだけに、哀れを誘うものがあった。

「今年、四十二歳なんだぜ。派手だろう」
「いやあね、タッちゃん。そんなこといわなくてもいいの、おほほほ」

派手といいながらも、彼が嫌な顔をしなかったのが悔しい。

「うちの母親なんか、ふつうのおばさんですよ。着る物もかまわないし」
「おうちにずっといらっしゃる方はそうなってしまうのよ。
主人が亡くなって、家とある程度のお金は残してくれたけど、私、働くのが大好きなのよ。ずっと仕事をしているから、そのへんで差があるのかもしれないわね」

うちの母親がこうなってしまうよりは、ふつうのおばさんでも今の方がいい。


「このケーキ、おいしいわねえ」
お母さんがそういったのは、私に対してではなかった。

「うん、うまい」
彼がそういうと、お母さんが満足そうに、またケーキを食べ始めた。

そして次に私のほうを見ていった。
「ねえ、おいしいわねえ」
「はい」
私は二の次、三の次なのだ。

「そうだ、あのねえ、タッちゃん・・・・・・」
ふたりにしかわからない話をされているあいだ、私は完璧に無視されていた。


「そうだ。あなたやお母さま、どこの化粧品を使っていらっしゃるの」

お母さんは現在、化粧品のセールスをしているとのことだった。
ついこのあいだまで、保険の外交をやっていたのだが、化粧品会社に変わったのだといっていた。
どちらにせよ、私は彼女の話を聞かされる運命にある。

「うちの商品はいいわよ。化粧品のかぶれなんかのクレームもほとんどないし、自信をもってお勧めできるの」
「お母さん、この化粧品を使うようになってから、肌がきれいになったよ」

彼が横から口を出すなんて信じられなかった。
うちでは、よけいなことをしゃべらない松本君でとおっているのに。

「ちょっといいかしら」

お母さんはすでに化粧バッグを開けて、私の顔をいじくろうとしていた。
母親と息子に結託されてしまって、わたしはされるがままになっていた。
ブラシで顔の上がこすられるたびに、薄目をあけて彼の様子を観察していたが、彼は満足している表情だった。

(私がきれいになったからじゃなくて、お母さんのテクニックに感心しているんだわ)

なんだかとっても悲しくなってきた。

お母さんと彼のあいだで、私はのけものになっていた。
晩御飯は焼き肉を食べにいくことになり、私たちは外に出た。


「あー、やっぱり夜になると寒いわねえ」

お母さんはそういって、彼と腕を組んだ。

私とお母さんは彼を挟んで歩き出した。
ふと足元を見たら、お母さんは銀色の鋲がたくさんついた、真っ赤なハイヒールを履いていた。

「そうだ、タッちゃん。あの気に入ってたブルゾン、ひじが抜けそうになっているから、今度買いにいかなくちゃね」
「そうだね」

彼と私以上に、この親子は相性がいい。

(あーあ、会うんじゃなかった)

彼の小指の赤い糸は、私とじゃなくて、お母さんとしっかりつながっている。
彼とつきあっていても、結局、私は片思いのままではないか。

夜空にのびる、密着したふたりの影を眺めながら、私はその上で地団太をふんでやりたくなった。・・・。




感想


この本のタイトルは「失恋」ですから、ここに載っているお話の全ては失恋です。
しかし、ちっとも悲しそうじゃない、というか、
悲しがっていても、どこかユーモラスというか・・・
そんな感じのお話ばかりです。

そこがこのシリーズの特徴であり、面白いなぁと思うところです。
情景が目に浮かんでしまうようなうまい描写がたくさんあって、短編なのに十分満足できてしまうのがスゴイですね。



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