無印親子物語

群ようこ作  角川文庫


あらすじ

無印シリーズは短編なので、どこから読んでも問題がない
手軽で読みやすいところが魅力です。

ふふっと笑ってしまう文章が面白いです。

面白さを説明できないので、好きな話から抜き書きをしてみると・・・。



『同じ穴の狢』

今日お父さんの浮気が発覚した。以前から母はおかしいといっていたが、私は、
「あんなフランシスコ・ザビエルみたいな、かっぱ頭のお父さんが、女の人にもてるわけがないじゃない」
ととりあわなかった。

傍からみても、身内からみても、フェロモンを発している人が浮気をするもんだと思っていたのである。
ところが、さすが長年連れ添った妻の勘は鋭い。
娘の私があれだけ、
「そんなことないんじゃないの」
といったにもかかわらず、きっちりと証拠を握ったのであった。

「ミキちゃん、やったわ。これでお父さんも観念するわ」
母は興奮していた。夫に女性がいて悔しいとか、悲しいとかいうよりも、自分の感じていたことが真実だったので、自信満々の勝ち誇った顔だ。

「ほーら、みてごらん」
母は胸を張ってテーブルの上の写真を指差した。そこには後ろ向きの男が写っていた。
手にとってよーくみてみると、よれたグレーの背広といい、かっぱ頭といい、父にとてもよく似ている。
写真は日中、ラブホテルの前で撮られていた。

「・・・・・・・・・・・・」
ただただ絶句するだけの私に、母は別の一枚を見せた。
それは正面をむいた男女二人の姿だった。ちょうどホテルから出てきたところらしい。
それは父に間違いなかった。満面に笑みを浮かべているのが、娘としてはとても情けない。
女性のほうは細身で小柄で、ごくごく平凡な顔立ちの、三十過ぎという感じの人だった。

「ねっ、ねっ、これでお父さんも言い逃れはできないわ」
母は腕を組み、まるで悪玉の大親分みたいに、「かっかっか」と笑った。

「これ、全部お母さんが撮ったのよ」
彼女は得意そうに言った。
「えっ、どうやって」
「ずっと尾行してたの。おかしい、おかしいっていったって、あんたは全然とりあってくれなかったじゃない。
お母さんは絶対に変だと思ってたのよ。
探偵社にたのもうかとも思ったんだけど、お金ももったいないし、暇だからやってみたの。
お母さん結構こういうのが好きなのよ。これだけ証拠があれば、もうこっちのもんだわ。
あたし、探偵の才能があるかもしれないね」

母は父の会社の近くで張り込んでいたという。
それも気づかれてはまずいというので、コンビニで買ったサングラスをかけ、マスクをかけて変装した。
そしてその姿でずーっと会社の前の喫茶店にひそんでいたのである。
母は父の相手は素人に間違いないと決めていた。というのも父の給料が少ないので、玄人を相手にするような甲斐性はないだろうとふんだからだった。
そして現場の証拠写真を撮るために、写ルンですを片手に持ち、父の行動を監視していたのであった。

「そうしたら、真っ昼間、二人が会社から出てきたの。そして後をついていったら、ホテルに入っていったわけよ」
「どこで撮ったの」
「このへん、ラブホテル街だから、むかいのホテルの塀の陰から撮ったのよ。こうやってしゃがみこんで」
母は大きなお尻でよっこらしょとしゃがみこみ、カメラを構える動作をしてみせた。

「入るところだけだといい逃れをされるから、出るとこも撮らなきゃならないから、ずっと待ってたの。お客さんに嫌な顔されちゃった」
「当たり前じゃない」
「あーら、悪いことをしてるのは、お客のほうよ。私は正しいことをしているんだから悪くない!」
母はそういってまた胸を張った。もともと鳩胸だから、ほとんどのけぞっているようにみえる。

「写真が撮れたからうれしくってねえ。すぐスピード・プリント・サービスに出して、現像してもらったのよ。なんだかわくわくしちゃうわね、こういうの。ふふふ、さあ、どうやって締め上げてやろうかしらね」
ぼきぼきと指を鳴らしながら、母はにたっと笑った。
今夜、繰り広げられるであろう、夫婦の戦いを考えると、私はその場でライヴで見たいという思いと、我関せずで自分の部屋にこもっていたいという思いとが交錯し、何となく気分が落ち着かなかったのであった。


父は私たちがこんな話をしていたとは、全く知らずに、いつものようにのそーっと帰ってきた。母は何くわぬ顔で玄関に出迎えにいった。
「遅くまでご苦労さまですねえ」
「今日は給料日じゃないぞ」
「あーら、そんなこと、わかってますよ。いろいろ毎日、大変だなあって思って」
「なんだ、今ごろそんなことがわかったのか」
父は母の言葉を真正直に受けとり、いばっていた。

(あーあ、あんなこと、いわなきゃいいのに)
自分の部屋にこもるのはやめて、戦いをライヴで見ようと決めた私は、いつ決戦の火蓋が着られるかと、不安なような楽しみなような複雑な心境だった。

父はいつものとおり、食事はせずに熱いお茶だけを飲んだ。
「晩御飯はどういう人と食べるんですか」
「どうして」
「いつも食べないから、どうしてるのか気になって」
「そりゃ、接待のときもあるし、会社のみんなと行くときだってあるさ」
「へえ、個人的に女の人と行くこともあるんでしょう」
母はにたにた笑いはじめた。
「えっ、そりゃ、会社には女の人もいるからな。そりゃ、行くさ」

私と母は父の顔が変わるのではないかと、じっと観察していたが、彼は母の質問にもしゃあしゃあと答えていた。
もうちょっとうろたえれば可愛気もあるのに、そんな父の姿はまさしく図々しいおっさんの姿であった。
母は急に黙って席をはずした。

「いったい、どうしたんだ。何か変だぞ」
父は首をかしげながら、ずりずりとお茶をすすり、へっくしょんとくしゃみをひとつして、新聞を読み始めた。
手に写真を持った母が、どすんと音を立てて椅子に座った。
「何だその座り方は。礼儀を知らない娘っ子じゃないんだぞ。親しき仲にも礼儀ありだ」
父は横目で母をにらみつけた。

「あら、失礼。それじゃあなたは、礼儀を知っていらっしゃるわけね」
「そんないい方はないだろう」
面白くなさそうに父はつぶやいた。
(おー、とうとう始まる)
私はごくりとつばを飲み込んで、事の成り行きを見守った。

「そんないい方もしたくなるんですよねえ」
そういいながら母は写真を、父の目の前にばしっと音をたてて置いた。
「んっ」
面倒くさそうにちらりと写真を目にした父は、次の瞬間、
「ぐっ」
と声にならない声を発し、口を真一文字に結んだまま、呆然と母の顔を眺めた。
「これは、いったいどういうことでございましょうか。礼儀をご存じのだんなさま!」
戦いは母のミサイル攻撃から始まった。

「えっ、どうって、これ?」
「ほっほっほ。あなたがいちばんご存じでしょ。この女性がどなたで、この男性がどこのどちらさんか」
母はそういいながら、うれしくてたまらないといった様子で、体をゆすっている。
「うっ」
さっきまでのいばりくさった父の顔は消え、顔色がどんどん青ざめていった。
「さあ、さあ、説明していただきましょ」
ここで父がパトリオット・ミサイルで応戦しないと、負けるのは目に見えている。
父に勝利はあるのだろうか。

「うーむ」
しばらく父は写真を凝視してうなっていた。
そしてふっと彼は黙った。
腹をくくったのかもしれない。
私は沈黙のあとの彼のおわびのことばを待った。
やっぱり、テレビ・ドラマの浮気発覚場面みたいに「すまん、悪かった」というのかしらなどと考えていると、突然、
「違う!」
という父の絶叫が家のなかに響いた。

「違う!ちがーう。これはおれじゃなあーい」
「はあ?」
私と母はあっけにとられた。
このかっぱ頭といい、背広といい、ネクタイの柄といい、弁解の余地のない証拠写真をつきつけられて、父は「違う」といった。

これも攻撃の一種ではあったかもしれないが、ミサイルで攻撃されたのに、竹槍で襲いかかるようなものだった。
しかし、こちらにしてみれば思ってもみなかった応戦で、さすがの母も、一瞬、ひるんだ。

「よく見てよ。このハゲ頭、背広とネクタイの柄。どこをどうみたら違うっていえるのよ」
「違うったら違う。これはおれにとてもよく似た別人だ!」
父はそういって、新聞で顔を隠し、
「話にならん」
とぶつぶつと口の中で文句をいっていた。

「私、ずっと張り込んでいたんです。会社のむかいの喫茶店で。午後三時半、この女の人と一緒に会社から出てきて、そのあと、別々にこのホテルに入ったでしょう。私、ぜーんぶ見ていたんです」
「ふん、そんな嘘、信じられるか」
父は母が何をいっても、「その男はおれじゃない」としかいわなかった。そのうえ
「そんな下品なことをするなんて、人間として許さんぞ」
と怒る始末であった。

「どーして、どーしてそんなことがいえるわけ。素直に認めれば許してあげようと思ったのに、あなたがそんな態度なら、こちらにも考えがあります」
母は憤然と席を立った。父は最初は無視していたが、ちらりと母の後ろ姿を眺めて、ため息をついていた。

「ミキはお父さんを信じてくれるな」
父は私にすり寄ってきた。
母のいうとおり、素直に「ごめんなさい」とあやまれば、許してやっていいかなと思っていた。
しかしあんな態度では、私と母はばかにされ、裏切られたような気になるではないか。

「さあね」
「どうして」
「どうしてって、これお父さんに決まってるじゃない。ずるいよ、そんなの。男らしく認めなさいよ」
「うるさい。なんだお前まで。あんな卑怯な手を使う奴のことなんか、信じちゃいかん。あれは別人だ!」
「卑怯とは何よ。卑怯なのは誰よ。私たちに嘘をついたりして。この写真はお父さんじゃないの」

私は父の目の前に写真を突きつけていった。それでも彼は
「別人だ!」
といい張り、そのうえ母のことを、
「隠し撮りする下品な奴」
と罵った。私はかーっと頭に血がのぼり、母と同じように憤然と席を立った。

母の部屋のふすまをあけると、彼女はぶすーっと正座をしていた。
「とんでもないわよ、お母さん」
声をかけても母は黙っている。
「どうする?あのまま知らんぷりをするつもりなんじゃないの。お母さんを悪者にして」
「許せません!」

きっぱりと母はいいきった。
「あんなにひどい人だとは思わなかった。とことん愛想がつきたわ」
私もそうだ、そうだといいたくなった。あの態度は家族に対する裏切りである。
「ごめんなさい」と反省すれば、家族としてまたやり直しができるのに、相手がその気ならば、こちらも考えなければならない。・・・・・・・・。



感想

夫の浮気の証拠を見つけるために張り切るお母さんの頼もしい姿。
悲壮感がなくて、重苦しくもなくて、思わずくすりと笑ってしまうような修羅場のやり取り。

そこのあとさらに驚く行動に出るお母さん。そのたくましさに感心してしまうことも含めて、面白さがにじみでるような文章が気に入ってます。


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